エノキサパリン(クレキサン®)は,わが国で静脈血栓塞栓症(VTE)予防に使用が認可された唯一の低分子量ヘパリンである.欧米ではすでに広く使用されている.2012年に改訂された「第9版ACCPガイドライン」では,第8版から大きく改訂が加えられ,患者寄りのアプローチのコンセプトが示された.その結果,これまでの予防法の推奨グレードが昇降した.本稿では,このような背景のなか,推奨薬剤の1つであるエノキサパリンについて,適応を述べて,エノキサパリンを用いたVTE予防の実際,当院の成績を紹介し,長所や短所についても解説したい.
緒 言
エノキサパリン(商品名:クレキサン®)は,わが国で静脈血栓塞栓症(VTE)予防に使用が認められている唯一の低分子量ヘパリン(LMWH)である1)2).LMWHは,従来の未分画ヘパリンの欠点をなくすように開発され,欧米ではすでにVTE予防目的として広く使用されており,「American College of Chest Physicians(ACCP)ガイドライン」でも推奨グレードは高い.
2008年の「第8版ACCPガイドライン」では,人工股関節置換術(THA)と人工膝関節置換術(TKA)に対して,LMWHはフォンダパリヌクスや用量調節ワルファリンと並びGrade 1Aの推奨であり,これらの抗凝固療法のうち1つをルーチンに行うことを推奨した.また股関節骨折手術(HFS)に対しては,フォンダパリヌクス(Grade 1A),LMWH(Grade 1B),用量調節ワルファリン(Grade 1B),または低用量未分画ヘパリン(Grade 1B)のうち1つをルーチンに行うことを推奨すると勧告がなされた3).
2012年に新たに改訂された「第9版ACCPガイドライン」では,2008年に発行された「第8版ACCPガイドライン」から大きく改訂が加えられ,表に示すような勧告が示された4)(表1a,b).
このガイドラインでは,利益相反の有無を重視し,利益相反の大きい研究者を最終決定者から外しており,新しくアスピリンなどの薬剤が推奨され,症候性VTEを重視する評価になったことがおもな改訂点である.すなわち,血栓症予防法と抗血栓療法に対する患者の考え方や価値観を考慮する患者寄りのアプローチ(Patient-important outcomes)のコンセプトが示された.さらに,患者リスクの層別化をより重視し,予防実施の前に個々の患者の深部静脈血栓症(DVT)・肺血栓塞栓症(PTE)リスクを考慮に入れた.
本稿では,このような背景のなか,推奨薬剤の1つであるエノキサパリンについて適応を述べて,筆者が実際に使用している経験から,エノキサパリンを用いたVTE予防の実際,当院の成績を紹介し,長所や短所についても解説したい.
1 適応
わが国の整形外科領域では,エノキサパリンはVTE予防として2006年にその効果が報告され5),2008年に承認され保険適応になった6).LMWHは,従来からダルテパリンナトリウム(商品名:フラグミン®)などが使用されているが,適応は「血液透析時の灌流血液の凝固防止」,「汎発性血管内血液凝固症(DIC)」であり,「VTEの発症抑制」を適応にもつLMWHは,わが国ではエノキサパリン(クレキサン®皮下注キット2000IU)のみである.この1シリンジ(0.2mL)2000IUにはエノキサパリンの20mgが含まれている7).
適応は「下肢整形外科手術(THA,TKA,HFS)施行患者におけるVTEの発症抑制」である.また,VTEの発症リスクの高い腹部手術施行患者におけるVTEの発症抑制にも適応が追加されている.出血する可能性のある患者(表2),重篤な肝障害のある患者,軽度または中等度の腎障害のある患者,高齢者,低体重の患者などは慎重投与の対象である.
とくに,腎障害のある患者ではクレアチニンクリアランスに応じた投与間隔を延長する必要がある1)8).また,術後に腎機能が低下する可能性があることも念頭におく必要がある.
2 治療(予防)の実際
北里大学整形外科ではクリニカルパスと関連させてVTE発生をスクリーニングし,一方でVTE発生の予防に努めている.血栓を発見した場合の対応についてもプロトコル化している9)10).また,病院全体でもVTE予防に取り組んでおり,2008年から患者個々のVTEのリスクレベルに応じた予防調査票(予防実施表)に則って抗凝固薬を使用し11),2012年からは出血リスク表を追加作成して,抗凝固薬使用による出血の予防にも取り組んでいる10).
予防実施表では,術式によるVTEリスクに付加リスクを加減して,最終的な推奨予防法が決定される.VTEリスクが中リスクであれば,理学的予防が選ばれ,高・最高リスクであれば,薬物的予防を併用する予防法になる.薬物的予防を行う際には,その薬剤の適応を確認し,さらに出血リスクを確認したうえで,適切に使用する.THA,TKA,HFSの場合では,術後24~36時間後に手術創などから出血がないことを確認したうえでエノキサパリン投与を開始する.用量は1回2000IUを原則として,半減期は約3.2時間であることから,12時間ごとに1日2回連日皮下注射する.硬膜外カテーテルが入っているあいだは使用せず,カテーテル抜去後2時間以上経過してから投与を開始する.投与期間は,術後最大14日間としている.
3 成 績
2007年6月~2010年12月までに北里大学病院および東病院において術後フォンダパリヌクスまたはエノキサパリンの予防を行ったTHA・人工骨頭置換術(BHA)・THA再置換術488股を対象として,両剤の比較を行うとともに,DVTと有害事象の発生頻度を調査した.
フォンダパリヌクスを189股,エノキサパリンを299股に使用し,理学的予防法も併用した.性別は男性96股,女性392股,年齢は平均63.8(20~92)歳であった.フォンダパリヌクスは2.5mgを1日1回,エノキサパリンは2000Uを1日2回皮下注射で投与した.検討項目として,おもに術前と術後3日目にDVT発生を超音波で評価し,出血や肝酵素上昇などを有害事象として調査した.その結果,DVT発生頻度は,フォンダパリヌクスでは4.2%,エノキサパリンでは4.3%で有意差は認められなかった(図1).
有害事象はフォンダパリヌクスが11.6%で,内訳は出血17股,肝酵素上昇3股,発疹が3股であった.一方,エノキサパリンは22.7%で,内訳は出血34股,肝酵素上昇31股,発疹は4股であった.出血については有意差が認められなかった(図2a)が,肝酵素上昇については有意差が認められた(図2b).
しかし,エノキサパリンによる肝酵素の上昇は,ヘパリンの投与による肝酵素の半減期の延長によると考えられており,今回の調査では薬剤使用期間中に投与を中止しなかった例でも退院時には全例が正常値化した.このことから,エノキサパリン投与中に肝酵素の上昇が認められたとしても,必ずしも投与を中止する必要はないと考えられた.ただし,薬剤性以外の肝障害の鑑別のために総ビリルビン値の測定は重要である12).
4 長所と短所
エノキサパリンは,1987年にフランス,1993年に米国で承認されて以来,現在までに世界130ヵ国で承認されており(2008年3月現在),世界的に標準的なVTE予防薬として位置づけられている7).最新の「第9版ACCPガイドライン」でも,THA,TKA,HFSを施行する患者において,エノキサパリンを優先的に使用することが提案されており4),これらの施行患者のVTE発生に対してエビデンスに基づいた予防を行う場合には,最も推奨される方法であるとされている.
THA,TKA,HFSを施行する患者において理学的予防法単独で行う場合は,「第9版ACCPガイドライン」によると,間歇的空気圧迫装置(IPC)はポータブル, バッテリー式,入院・外来で使用し,1日18時間装着の条件に限り,グレード1Cに推奨されている4).しかし,わが国の現状では,その限られた使用法は困難である.したがって,適切な使用が可能であれば,簡便で予防効果の高い抗凝固薬を用いた予防法は推奨できる.
短所として,副作用としての出血は最も重大な問題である.エノキサパリンには,投与期間中に緊急で外科的処置が必要になった場合や過剰投与時の対策として,プロタミン硫酸塩を用いて急速に中和する方法(最大60%)がある13)ことがフォンダパリヌクスよりも利点である.しかし,抗凝固薬を使用する以上,どの薬剤でも少なくとも出血の問題は起こり得るので,出血リスクを考慮した適正使用が重要である.そして,使用した場合には,十分な観察,出血に対する投薬中止や凝固因子(新鮮凍結血漿)の投与などの基本的な処置が大切になってくる14).
他の副作用として,ショック,アナフィラキシー様症状,ALTやγ-GTP上昇,血小板数増加,貧血などが報告されている7).さらに重篤な副作用として,脊椎・硬膜外麻酔あるいは腰椎穿刺などの穿刺部位に生じた血腫により,神経が圧迫されて麻痺が起こる危険性がある.その他の合併症として,海外の報告ではヘパリン起因性血小板減少症(HIT)7),低分子量ヘパリン起因性皮膚壊死15)などが報告されている.
結 語
「第9版ACCPガイドライン」が発行されて,これまでの予防法の推奨グレードが昇降し,実際に使用する医師は臨床現場で混乱を招く可能性が出てきた.重要なことは,どうしたらその患者にベストな予防ができるのかである.VTE予防を行うこと自体は私たち医師にとって義務であり,必ずしも欧米の予防法を真似する必要はないが,少なくともエビデンスに基づいたVTE予防が求められる時代になった.さらなる医療の発展に期待したい.
References
1)日本整形外科学会肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン改訂委員会 編:日本整形外科学会静脈血栓塞栓症予防ガイドライン 初版.南江堂,東京,2008
2)深部静脈血栓症・肺血栓塞栓症調査検討委員会:骨折に伴う静脈血栓塞栓症エビデンスブック 初版(日本骨折治療学会 編).全日本病院出版会,東京,2010
3)Geerts, W. H., Bergqvist, D., Pineo, G. F. et al.:Prevention of venous thromboembolism. American College of Chest Physicians Evidence-Based Clinical Practice Guidelines(8th Edition). Chest 133:381S-453S, 2008
4)Guyatt, G. H., Akl, E. A., Crowther, M. et al.:Executive Summary:Antithrombotic Therapy and Prevention of Thrombosis, 9th ed:American College of Chest Physicians Evidence-Based Clinical Practice Guidelines. Chest 141:7S-47S, 2012
5)冨士武史,越智隆弘,丹羽滋郎ほか:股関節および膝関節全置換術後の静脈血栓塞栓症(VTE)に対する低分子量ヘパリン(RP54563)の予防効果.中部整災誌49:915-916,2006
6)Fuji, T., Ochi, T., Niwa, S. et al.:Prevention of postoperative venous thromboembolism in Japanese patients undergoing total hip or knee replacement:2 randomized, double-blind, placebo-controlled studies with 3 dosage regimens of enoxaparin. J. Orthop. Sci. 13:442-451, 2008
7)クレキサン皮下注キット2000IU医薬品インタビューフォーム(2012年1月改訂第4版).2012
8)高平尚伸,内山勝文,高崎純孝ほか:VTE予防におけるTHA術後の出血リスクに関する項目の年齢別比較│どうしたら抗凝固薬を安全に使用できるか│.日本人工関節学会誌 39:248-249,2009
9)高平尚伸,内山勝文,福島健介ほか:大腿骨頚部/転子部骨折における静脈血栓・塞栓症の発生率とその予防.整形・災害外科 58:953-958,2010
10)高平尚伸,黒岩政之:個々の患者に対する病院全体でのVTE予防の取り組み.VTEジャーナル2:44-51,2012
11)高平尚伸,内山勝文,高相晶士ほか:静脈血栓塞栓症予防のためのリスクレベルに応じた予防調査票.臨床整形外科 45:603-607,2010
12)河村 直,高平尚伸,内山勝文ほか:フォンダパリヌクスあるいはエノキサパリン使用下における人工股関節置換術の術式別での深部静脈血栓症の発生頻度と有害事象の検討.日本人工関節学会雑誌 41:34-35,2011
13)Ryu-McKenna, J. V., Cai, L., Ofosu, F. A. et al.:Neutralization of enoxaparine-induced bleeding by protamine sulfate. Thrombosis Haemostasis 63:271-274, 1990
14)中村耕三,立花新太郎,冨士武史ほか:クレキサン使用上の注意について.日整会誌82:598-600,2008
15)Handschin, A. E., Trentz, O., Kock, H. J., Wanner, G. A.:Low molecular weight heparin-induced skin necrosis:a systematic review Database of Reviews of Effects 2007. Langenbecks. Arch. Surg. 390:249-254, 2005
北里大学医療衛生学部リハビリテーション学科教授/
北里大学東病院整形外科診療科長
高平尚伸 Takahira Naonobu
・DEBATE 3 エノキサパリン/高平尚伸